タックスエンターテイメント小説 〜

「税務調査最前線」

11話『貸ビル屋の弱み』

 (私もなんです!) 4

 

(多田税理士が居酒屋で知り合った若い女性は、不倫関係があったことを匂わせる。仕方なく、彼女の夫の貸ビル会社の税務調査の立会いを引き受けたのだが、未経験の賃貸借契約書に戸惑う多田税理士。)

 

「そっそんな、と当初より返還不要の敷金なんて契約があるんですか。」と、今までに経験のない契約内容に驚く多田税理士。

「はい、ありますよ。当社の顧問弁護士にアドバイスされて、駅前の貸ビルは事務所ばかりなんで、空きがでたらなかなか埋まらない可能性もあるので、敷金の20%程の返還不要の条件を飲めるくらいの資金的に余裕のあるテナントさんに入ってもらいたいですからねえ。」と、隆は説明する。

「そうですかあ。一種の債務免除益なのか、それとも当初だけ高い家賃の契約なのか。う〜ん。そんな賃貸借契約書は今まで見たことがないなあ。う〜ん。賃貸料収入にしないといけないのかなあ。退去するとこには、敷金の20%は返還しないのだから、退去するときの収入にはならないのかなあ。」と、独り言のようにつぶやく多田税理士。

 

「そりゃそうですよ、多田先生。当初より敷金の一部返還不要の不動産賃貸契約書って結構ありますよ。駅前という貸主に有利な条件の物件にはよくあるんですよ。当初のみ高額になる家賃ですが、契約したら自動的に返還不要の敷金部分だけ収入に振り替える必要があったんですよ。それなのに、収入に計上されていなかったんですから、前期分で結構ですから収入に加えて修正申告をされてください。」と、蒲原上席調査官。

 

「えっええ。そのご指摘のA株式会社なんですけど、10年前に入居でしたら、その返還不要の敷金部分の収入についても10年前の収入ということにはならないんですか。法人の任意調査での除斥期間は5年のはずですよね。」と、多田税理士は自信なげだ。

「いえいえ。いいんですよ。修正事項が出てきたら前期の修正申告で済ませればいいんですよ。みなさんそうされていますよ。」と、自信たっぷりの蒲原上席調査官であった。

 

「あのう。除斥期間てなんのことなんでしょうか。多田先生。」と、隆が質問した。

「あっあのうですね。除斥期間といいますのは、ですね。そっそのう、税務署がですね、納税者にですね課税することができる期間のことでして。除斥期間を経過しますと、もう税務署は納税者に課税して税金を徴収する権利を失う訳なんです。ですから、10年前の収入の漏れであっても、法人の任意調査の場合の除斥期間は5年ですので、とうに除斥期間は経過していますので、課税も徴収もできないと思うんですけど。」と、まだ自信のない多田税理士。

「除斥という文字からは、課税も徴収もできなくなるというニュアンスが掴みにくいですねえ。」と、考え込む隆であった。

「そっそうですねえ。繰り返しで申し訳ないんですが、今までは除斥期間が経過すると、課税の徴収もできなくなるって覚えてたものですから・・・。今度調べておきますね。ただ、偽りその他不正の行為ですね、つまり脱税をしたような場合には除斥期間は7年に延びるんです。今回の敷金の返還不要な場合の申告漏れが脱税行為になるとしても、もう7年は過ぎていますから課税できないはずなんですけどね・・・。」と、やはり自信がない多田税理士であった。

「いやあ。そんなに悩まなくて結構ですよ。前期の修正申告で済ませてください。」と、蒲原上席調査官。

 

「う〜ん。前期の修正申告ですか・・・。その件は、もうちょっと検討させてください。」と、自分の知識が正しいと思っているのだが、自信満々の蒲原上席調査官の言葉に迷う多田税理士。

 

「あっそう言えば、秋山さん。その駅前の貸ビルですけど、最近の出入りはどうなっているんですか。全ての不動産賃貸契約書に敷金20%の返還不要の条文が入っているとしたら、少なくとも5年間は修正申告の可能性が出てくるんですけど。」と、多田税理士。

「はっはい。前期と前々期に出入りが何件かありましたね。確かこの契約書とこの契約書の分だと思いますけど。」と、契約書を手に取り中身をめくる隆。

多田税理士は混乱していた。なぜ10年前の申告漏れが前期の修正申告になるのかだ。他の納税者もそうしているとの蒲原上席調査官の言葉に反論の言葉が見つけられない多田税理士は、沖山税理士に尋ねるしかなくなったのだ。

 

「ああのう。トイレを貸して頂きたいのですけどもよろしいでしょうか。」と、多田税理士。

「はい、いいですよ。こちらですわ。どうぞ多田先生。」と、千夏がソファーから立ち上がって案内を始めた。

「すっすみません。ちょっと失礼します。すぐ戻りますので。」と、隆と蒲原上席調査官に声をかける多田税理士。

事務所を出て、ドアを閉めた途端。千夏は多田税理士の腕にしがみついてきた。

「いやあ〜。なんか緊迫しているっていうかあ。スリルあるっていうかあ。なんかこうサスペンスみたいで面白いね税務調査って。わくわくしちゃうなあ。多田先生もなんかこう難しい顔しちゃって、やっぱプロなんだなあって感心しちゃったなあ。」

「いえいえ。ちょっと不慣れな指摘事項なので、少々困っているというか。あっあのう。腕なんですが・・」

 

「え〜、いいじゃない腕さわるくらい。」

「いやその、誰かが見たら変だと思うし、旦那さんが見たらなんか誤解などされると、ちとねえ。ヤバイことにでも発展したりしたらねえ。大変ですしねえ。」

「大丈夫よ。多田先生。あの日のことは旦那には言わないわよ。」と、ニッコリ笑顔の千夏の手が多田税理士の胸をからかうよう軽く叩いたのだった。

「あっうちのトイレちょっと変わっているけど気にしないでね。旦那の趣味が出てるっていうかさあ。そこらじゅうにメモを貼ってるのよ。本人に言わせると、トイレが一番落ち着いて考えることができるんですって。だから、考えついたらメモに書いて壁に貼っておくんですって。次にトイレに入った時に、前のメモを見ると考えが次に続くんですって。変な旦那でしょう。あと、目標なんか心に強く思うこともメモに書いて貼ってるわねえ。ホント変な人でさあ。他人には決して言えない趣味も持っているのよねえ。多田先生になら話しちゃおうっかなあ。ねえ聞く?」

「いえいえ、結構です。それより、トイレをお借りしたいのですけど。それにあまり長く二人でいますと、何かと疑われたりしますので・・・。」

「はいはい。分かりました。トイレはこちらです。」と、廊下を上がった左側を指差す千夏。

多田税理士は靴を脱いで廊下に上がり、トイレのドアを開けて中に入った。

「おお。こりゃあすごいなあ。メモの嵐のようだ。何々、(空き部屋対策その1ウルトラマンの部屋を作るぞ)かあ。うん、(カラオケオヤジめ、絶対に慰謝料とってやる)かあ。過激やなあ。ああ、浮気相手に慰謝料を請求したって話だったもんなあ。は〜あ、なんか面倒なことになっちゃったよなあ。早く税務調査が終わってくれないかなあ。おっと、そうだ沖山先生に電話しなくっちゃ。」

 携帯電話を取り出した多田税理士は、沖山税理士の携帯に電話をかけた。

 

「もしもし、坂市の税理士の多田ですけども今よろしかったでしょうか。」

「あああんたね。いいよ。なんかあったとね。」と、いつもの渋い沖山税理士の声だ。

「じっ実は、今調査先から電話しているんですが、不動産賃貸業の法人でして。それが変な契約書の条文がありまして、それがですね入居時に敷金の20%は返還しないという条文でして、私は今までそんな契約書は見たことがなくて戸惑っているんですが、そんな条文入れているところって多いんでしょうか。」

「ああ、敷金の一部返還不要っていうやつやねえ。あるよ、そういう条文が入っている不動産賃貸契約書は多いかどうかは別として確かにあるにはあるねえ。契約は自由だからね。敷金を全額返さねばならない法律でもあれば別じゃろうけど、基本的に公序良俗に反しなければ契約は当事者間で自由に決められるからねえ。それが、どうしたんね。」

「そっそれがですね。10年前に入居した会社の敷金の振替処理がされずに100%残っていたんですね。それで、調査官はその返還不要の敷金部分を前期の修正申告で済ませればいいと言ってきたんですね。それで、みなさんそうされていますよ、とも言うんですよ。本当に税務署員の言うようにしなくちゃいけないのか疑問でして。先生から除斥期間のお話を聞いていたので、ちょっと変だなと思うんですね。それで、除斥期間についても、法人の任意調査は5年でしたし、脱税の場合でも7年なので、10年前の収入漏れって修正申告しなくていいんですよね。それに、除斥期間って文字からの説明って難しいですねえ。」


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